詩人 画家
明治30年(1897)銚子に生まれ、東京京華中学校卒業。
新しき村の運動が起きると同時にその運動を介して白樺や草土社の人達と交わり、当時詩壇随一の新進詩人といわれた。大正8年(1919)千家元麿が詩誌「河」を創刊主宰し、14年末廃刊をするまで155号続いた。
絵の方では、大正8年草土社々友となり、同社解散後は春陽会、国画会に発表したが、現在は詩、画ともいずれにも属していない。詩集には、大正13年(1924)「爽やかな空」その後「太陽の娘」「白描眠る」「南方の精神」「花籠」「この道を歩く」「合図」「燃ゆる翼」がある。